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ひとつのわかれ すべてにありがとう 備忘録

今は色々お仕事もさせていただいて
毎日フラメンコに接する生活をしている

私は「かわさきおやこ劇場」という、舞台を通じて、地域に子育ての輪を作ろうという趣旨の団体の中で育った
舞台劇・人形劇から、バレーにオーケストラやフォルクローレなど、本当に多種多様な舞台を観てきた
実際に「やってみたいなぁ」と思うものもあった中
21歳の時、小松原庸子舞踊団のフラメンコと出会った
衝撃だった
「私は、これをやるんだっっっっっ!」と思った
過労死するんちゃうか?程の仕事をしていたので、すぐには実現できなかったのだが
それから6年後、仕事の環境が変わったことで、フラメンコと再会し
見学&入会&靴の申し込みを一気にし、私とフラメンコがスタートした

その後のフラメンコ人生については、またの機会に書こうと思うが

私にこんな経験をさせてくれたおやこ劇場を創り、発展させた
とてつもなくお世話になった方が亡くなった

中学生の時には、自分より小さな子どもたちの事を考えながら、自分はどう生きていくのかを
高校生や青年たちと学習したり考えたり
高校生になったら、仲間たちと社会のことも考えながら、子育てと地域をつくる運動として考えていき
青年になっては、仕事と社会
そして、より身近になっていった子育て(自分の子どもじゃないけど)

そこには常に仲間がいて、歌があって踊りがあった
真剣に討論もして
全てがキラキラと輝いていた(真剣な分、辛いこともあったけど)

そしていつも、方向性を示しつつ
考えさせ
時には叱り
時には褒め
寄り添ってくれた彼女がいた

その後私は結婚を機に大阪に転居した

10年近く前に、一度お会いすることができたが
おやこ劇場でフラメンコに出会い、その後の人生になっていること
とても喜んでくれていて
「例会に、あなたのフラメンコを取り上げましょうよ!」とまで仰っていただいた
しかしコロナ禍において、舞台を観ていただくことや一つ所に人が集まることができなくなり
会員さんに迷惑はかけられないということで、50年余の活動を停止し、解散することになった

その連絡を受けた時も衝撃は大きかった
なにせ、私の根幹を作ってくれた会だったから

そして彼女の死を伝えるメールを受け取ったのは、先日のライブ中の休憩時間
見なければよかった・・・・

考えないようにして二部が始まり
siguirilla
とめどなく出る涙
何とか頑張って歌ったが
最後のAlegrias
アレグリアスは起承転結がはっきりしていると言われてはいるが
こんなにも心が揺さぶられるとは
とても音痴になりながらも、必死で歌った
支えてくれた淳子ちゃん、本当にありがとう

彼女に見守られた、若き20年は
まさにアレグリアスだったな
平木さん、本当にありがとうございました
先に逝かれたお仲間たちと、ゆっくり語り合ってください
そして、空からまた見守っていてね
あなたに恥ずかしくない生き方をしていきます


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